フラワーエッセンスの歴史

フラワーエッセンスの歴史を紹介します
フラワーエッセンスはいつ頃に出来たものなのでしょうか?
現在たくさんあるブランドの中でも一番有名な「バッチフラワーレメディー」の創始者で医師のエドワードバッチ博士が1930年代の英国で花療法を確立するまで
このような自然界の生命エネルギーが転写されたお水を使ったセラピーの様なものは何もなかったのでしょうか?
実は、そのずっと以前の古代より、人々は「花の持つ癒し」の力を知っていて、生活の中に実際に取り入れていたのです。
古代オーストラリアのアボリジニー古代オーストラリアの先住民族のアボリジニーは、集団で生活していました。
そして、「自分の心や体の調子が乱れると、集団の調和を乱してしまうし、宇宙の調和も乱してしまう。」という考えを持っていましたので、
自分の心の状態や体の調子が思わしくないなと思った時は、朝早くに一人集団を離れて、花の咲く場所へ行き、
花の咲く場所で瞑想してゆったり過ごしたり、その花についた朝露を飲んだり、お花ごと食したりしてエネルギーを整え、癒しの力を利用したそうです。

日本の密教においても、僧侶が修行において、花の朝露を入れたお水を体にかけたり、
朝露がたっぷり浸み込んだ綿で体を拭いたりしていたそうです。
選ぶ花にもよりますが、お清めと魔除けに効果がありそうですね。
これも立派なフラワーエッセンス活用法です。
そして近代、1886年、産業革命が進んだ英国バーミンガム近くで生まれたエドワードバッチ博士は、16歳の頃から父親が経営する町工場で働きはじめます。
そこで見たものは、過労で体や心のバランスを崩した多くの労働者たちでした。
仕事が原因の心の不調が体への不調として現れることも経験し
その時から彼は「人が病気になるのは、その人の意思にそぐわない仕事をムリムリやってその人らしく生きていないから。」
ということを自然に学んでいったのでしょう。
そのことから「自分本来の仕事をしよう!」と、
医学の道を志し、医学部に入学し細菌学者としての教育を受け医師となります。
やがてロンドンの中でも優秀な医師が
軒を並べる場所として知られている「ハーレーストリート」という
お医者さん街で成功し、医師として高い評価を受けます。
しかし30歳の頃に重い病に罹り余命3ヶ月の宣告を受けましたが、
その経験が逆に病気の原因と、自然のエネルギーを使っての効果的な治療方法を熱心に研究・追求するきっかけとなりました。
すると発病前よりも元気になり、その後も精力的に患者の治療に当たり、
「真の健康は部分的な治療ではなく、心の平安からもたらされる」と確信するに至るのです。
1920年代に入ってからはホメオパシーの研究にも取り組み、ハーレーストリートにいくつもの診療所を構えるほどの名医として実績を残し名を馳せます。
そして1930年代の世界大恐慌時代に入り経済的な不安から人々の心が不安定になってしまった人が多く生まれた時代に、バッチ博士は、それまで持っていた全ての診療所も資産も手放し、医師としての地位も名声も捨て、
たった2つのスーツケースだけを持って野生の花に恵まれたウェールズ地方の野山に旅立つのです。
そして、それまでの研究成果を生かして心に癒しをもたらす様々な植物を捜し求め、ついに花びらの朝露に癒しの効果があることを確信するに至るのです。
そして、様々な心の感情を癒すバッチフラワーレメディーを完成させました。
その一年後、博士は他界されますが、その博士の志や製法は丁寧に惜しみなく後世に受け継がれ、
1970年代以降、更に発展してそれぞれに特徴のある優れた数々のエッセンスのブランドたちが生まれる礎となったのです。
 
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